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高松高等裁判所 昭和38年(ネ)56号 判決 1965年11月09日

控訴人 水口米吉

被控訴人 国

訴訟代理人 杉浦栄一 外三名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人に対し、金一、七〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和二六年六月一〇日以降右完済にいたるまでの年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、第一、二、三審分とも、被控訴人の負担とする。

この判決は、右第二項に限り、控訴人が金三〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

被控訴人が金五〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮執行を免かれることができる。

理由

請求の原因の一ないし四の事実(ただし、右一の事実中、本件船舶の賃貸借契約の内容細目を除く。)は、当事者間に争いがない。

右争いがない事実に<証拠省略>の結果を総合すれば、つぎの事実が認められる。すなわち、

門司税関岩国支署長古賀敏彦は、昭和二四年六月一一日柳井警察署から関税法違反の嫌疑事実がある旨の通報を受け、同税関大蔵事務官森学とともに柳井港のいわゆる東港(同所は、客船、貨物船等の発着するところである。)へ赴き、同所において森学の名において、本件船舶および同船舶内の海図等が差し押えられた。当時すでに本件船舶内の密輸物資とみられる物件は、柳井警察署の手により引き掲げられ、船長、機関長は留置されていたが、その余の数名の乗組員は、本件船舶に残つており、古賀敏彦等は、当時の方針に従い、本件船舶のノズル(それがなければ、発動機を動かせない。)をはずして引き揚げ、油を抜く等の措置を取つた。

当時の状勢として、発動機の盗難等の事故がかなりあつたので、当面の問題は、船舶自体や発動機等の盗難、粉失をいかにして防ぐか、その監視をどうするかということにあつた。ところで、当時柳井市には税関の出先機関はなく、岩国支署の陣容は、古賀敏彦、森学のほかは、雇一名、小使二名にすぎなかつたので、古賀敏彦は、当時柳井港を本拠に海運業を営んでいた上垣内保一に対し、右差押後、その承諾を得て、本件船舶の監視方を依頼しておき、二、三日後上垣内保一に対し、正式に本件船舶の保管を委託した。そして、上垣内保一は、自ら船舶を運航するための知識経験がなかつたので、さらに、経歴の長い船乗りである石川順一に、本件船舶保管の実際面を託し、古賀敏彦もこれを了承した。しかし、石川順一の運航経験は、比較的小型の船舶についであり、本件船舶位の比較的大型のものになると、機関を動かしたこともなかつた。

ところで、右関係公務員等ならびに上垣内保一、石川順一等の間で最も関心がもたれていたのは、事件の捜査中、差押物である本件船舶が盗難、粉失等の事故にあわないよう注意することであつたことは、否定することができない事実であるが、柳井港東港は、船の出入りの多い所であるから、本件船舶を同所につないでおくと、邪魔にもなり、用心も悪いため、関係者は、他に安全な場所を求めていた(古賀敏彦は、岩国へ廻航することも考えたが、費用等の点を考慮して、取り止めた。)。

柳井港のいわゆる西港は、東港の西約一・五キロメートルの所にあるが、同所から川を少し遡つた所に上垣内保一宅があり、その前に、満潮になれば海水が来、干潮になれば干潟になる、船舶を置くには適当と思われる場所がある(以下「西港奥」という。」。そこで、西港奥ならば、上垣内保一宅の前で監視もしやすく、船底にかきもつかず、かねて風波に対しても安全だということになり、上垣内保一は、古賀敏彦に対し、本件船舶を東港から西港奥へ入れることを提案し、了承を得た。それは、昭和二四年六月一八日のことであり、同日実行に着手した。なお、古賀敏彦は、前記差押後、事件の捜査を続けていたが、右一八日告発の手続をとり、本件船舶の押収関係は、上垣内保一に保管委託のまま山口地方検察庁岩国支部検事池田修一に引き継がれたのであり、また、本件船舶に残つていた乗組員は、捜査のため上陸させられて、その頃一人も残つていなかつた。

石川順一は、右一八日本件船舶を曳船により、東港から西港へ移し、一八、一九の両日西港奥へ入ろうと試みたが、小潮のため入口が浅くて果さず、なお三、四日後の大潮を待つため、西港内にとどまり、自ら一人本件船舶に乗り組んでいた。もともと、石川順一は(古賀敏彦も上垣内保一も)、西港の事情を知つており、大潮でなげれば本件船舶を西港奥に曳き入れることはできないであろうということは、分つていたのであるが、少しでも早く、右にいわゆる安全な場所へ入れたいという気持から右のような措置に出たのである。

しかるに、同月二〇日(以下、日のみで示す。)午後五時頃からデラ台風による影響が右海面に表われ、風波が強くなり、午後一一時頃になると、石川順一が錠を入れて防いだにもかかわらず、本件船舶は木の葉のようにほんろうされ、はじめは一〇〇メートル位離れていた西港突堤の方に引き寄せられ、幾度か打ちつけられるので、石川順一は、身の危険を感じて、やつとの思いで右突堤に上つたが、本件船舶はなおも幾度か右突堤に打ちつけられたすえ、ついに二一日午前一時頃大破沈没してしまつた。

二〇日の防長新聞には、マニラ東北方三〇〇マイルの地点にデラ台風が現われたとの記事はあるが、同じ紙上の天気予報には、「海上はおだやかな方と」あり、デラ台風について下関測候所が第一回の地方気象特報を出したのは、二〇日午後六時である。前記差押後、古賀敏彦、森学、池田修一等は、上垣内保一、石川順一に対し、風波が強くなつた場合にとるべき措置等については、注意したことはない。右関係公務員等が下関測候所の右特報を放送等で知り得たはずであるということを認めるに足りる証拠はないが、デラ台風が現実に襲来した後も何等の措置をとつていない。上垣内保一、石川順一も、風波に対する防御措置は、右に述べた以外にとつていない。

右大破沈没後、機関一基と船体の残材が引き揚げられたが、これらは、本件船舶を没収する旨の判決の執行により、昭和二六年六月八日売却処分に付された(このことは、当事者間に争いがない。)

以上の事実が認められ、証人上垣内保一(原審および当審)の証言中、右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比し、確信することができず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

そこで考えるにおよそ公務員が、公権力の行使によつて私人の物件を保管するにいたつた場合、当該公務員は、その物件の保管をさらに第三者に委託したと否とを問わず、常に善良な管理者の注意をもつて当該物件を保管すべき義務があると解すべきであるが、右認定の事実によれば、古賀敏彦が本件船舶の差押後にとつた措置は、その保管に当り用いるべき注意に欠けるところがあるというべきである。上垣内保一は、船舶運航の知識経験のないものであり、石川順一は、それがあつても、本件船舶のような比較的大型の船舶を動かしたことはないものであるから、いざというときにとるべき適宜の措置についての判断力ないし実行力に欠けるところがあるというべく、残留乗組員が果たしてこうした能力の持主かどうかは、証拠上分らない。まして、これら乗組員は、いつ取調べのため上陸させる必要が生ずるか分らないのである。また、西港奥へ曳き入れる目的とはいえ、大潮でなければ、右曳入れができないであろうことを知りながら、石川順一ただ一人を乗せ、漫然、西港へ曳航させたことも不注意のそしりを免れない。しかも、ノズルを引き揚げ、油を抜いていたから、必要な場合、容易に緊急避難の措置をとることができないのである。かりに、西港奥以外に、風波に対し、より安全な所は、附近にないとしても、本件船舶を右のような状態で海上に置くことは、決して妥当な措置であるということができない。たとい、六月に台風が襲来することは、ほとんどなく、これを予見することができない状況であつたとしても、同断である(むしろ、被控訴人のいうように、気象状況の予知が極めて困難であつたのであれば、一層、右の措置は、注意を欠いたことになるというべきであろう。)そして石川順一が大潮を待つているうちに、二〇日の防長新聞には、デラ台風の出現が報ぜられているのであるから、関係公務員等は(なお、古賀敏彦は、右保管状況を池田修一に通知すべきであるのに、証人中原稔(本件船舶の保管につき池田修一の指揮を受けていたもの。)は、石川順一に保管の実際面が託されていることを知らない旨述べている。)当然右記事に注意を払うべく、その後は、気象条件の変化等に深甚の注意を払い、いやしくも海上不安の兆候がある場合は、本件船舶の安全保持につき万全の措置をとるべきであるのに、これをしたことは認められない。石川順一ただ一人を放置し、大破沈没を招いたのである。被控訴人主張の風速では、沈没を免れない、という考えにはにわかに賛成できない。

以上認定の事実に徴すると、海上における船舶の保管については、まず第一に、風波や不時の事故に備えて、沈没の危険を防止することに留意すべきであるのにかかわらず、関係公務員らは、右の危険防止につき、何等の知識経験なき者に漫然その保管を委託し、かつ、台風の襲来に当つても、適切な措置を講じなかつたものであつて、これを要するに、関係公務員らが、本件船舶の保管につき善良なる管理者の注意を欠き、そのため、沈没大破の結果をまねいたものというべきである。

そこで、被控訴人は、国家賠償法一条一項により、控訴人に対し、本件船舶の大破沈没(それによる控訴人の本件船舶に対する所有権の喪失)によつて生じた損害を賠償すべきである。

証人中林幸吉、同田中弥蔵、同井河治の証言を綜合すれば、右沈没当時における本件船舶の船体の価格は、金一、二〇〇、〇〇〇円であり、発動機の価格は、金七〇〇、〇〇〇円であることが認められる。甲第一号証、乙第五号証の二は、右認定を左右するに足りず、証人揚有明の証言および控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、措信することができない。

被控訴人は、過失相殺の主張をするが、右控訴人の過失を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被控訴人に対し、右合計金一、九〇〇、〇〇〇円のうち金一、七〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件不法行為の後である昭和二六年六月一〇日以降右完済にいたるまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は、すべて理由があるから、これを認容すべきである。右請求棄却した原判決は不当である。

よつて、民訴法三八六条、九六条、八九条、一九六条一項、三項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 呉屋愛永 杉田洋一 鈴木弘)

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